牛歩の猫の研究室

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石原は蔣介石の上海開戦方針を察知できていたか?

 では、石原は上海で攻勢に出ようとしていた蔣介石の意図に気づくことができていたのであろうか。盧溝橋事件当時の予測について後年、このような発言を残している。

「一般の空気は北支丈けで解決し得るだらうとの判断の様でしたが、然し私は上海に飛火する事は必ず不可避であると思ひ平常からさう言つて居つたのでありました」(「回想応答録」)

 これだけでは判然としないが、この石原の言については戦争指導課長だった河辺虎四郎が聞いていたようで、後年、竹田宮の聴取に対し次のように回答している。会話を引用しておく。

殿下「其のずつと前未だ石原閣下が〔参謀本部に〕居られた時分に〔近衛が〕直接南京に乗込んで媾和談判をやらうと云ふ問題がありましたが・・・」

河辺「はい、ありました。八月頃だつたと思ひます。あれは石原閣下の発案でありませう。それには今田〔新太郎〕中佐あたりも非常に気合をかけて居りました。

 要するに事態の拡大の虞があると云ふので考へられたのです」

殿下「上海に事件を起すからといふのです」

河辺「兎に角相手の気持で・・・今にも事件が起るぞと云ふ風な気がする、之に引き摺られてズルズルと戦になると云ふことは甚だ相済まぬから兎に角やるのかやらぬのかと云ふことは本当に大政治家が向ふへ行つて突つかつて見るべきだと云ふ、石原閣下の考であつたと思ひます・・・」(「河邊虎四郎少将回想応答録」『現代史資料』12)

 竹田宮が「上海に事件を起すからといふのです」と発言しているが、他の箇所でも話をリードしようとしてこうした口調になっていることが確認できるため、すでに竹田宮はこの話を知っていたようである。ともかく石原が〈蔣介石が何らかの事件を起こして上海で戦争を始めようとしている〉という趣旨の発言をしていたことは確実である。そして石原の提唱した首脳会談の目的が、盧溝橋事件に端を発した北支事変の平和的解決を実現し、上海への戦火拡大を食い止めようとしたものであったこともわかる。

 浅原健三の回想はさらに具体的である。彼によれば、石原は七月三〇日の夕刻、満洲国協和会東京事務所を訪れ、浅原や影佐禎昭(後日、支那課長に着任)に次のように言ったという。

「もし、盧溝橋事件が北支から中支に飛び火すれば・・・、ということは、上海に飛び火するということだ。そうすると、もはや全面戦争は防ぐことはできない。もし、全面戦争になったとき、後ろからソ連に突かれたら、日本は負ける。敗北だ」「君は日本軍が発動しなければ、中支へなど、戦争が拡大するはずはないと思っているのだろう。大変な誤算だ。日本からは挑発しない。これは保証する。ところが、支那側がはじめるよ。蔣介石がやりきれなくなって、挑戦してくるよ。僕はこの最後ともいうべき事態を、そのときを目に見るように感ずるんだ」(桐山前掲書)

 以上から、石原は蔣介石が上海で戦端を開こうとしていることを見抜いていたということができる。また、上海事変勃発後(八月一五日)には飯沼守上海派遣軍参謀長に対し、「現時支那軍の使用しうる兵力は五個師、後方には数多の部隊あることもちろん」「対ソ関係のため上海派遣軍の兵力編組は最小限なり 従って作戦は相当困難なるものと思われるゆえに参謀本部としては細部は指示せず、思う存分やれ」(『陸軍作戦』)と作戦の見通しを連絡しているように、支那軍が同方面に集中してくるために二個師団では苦戦が免れられないということも予想していたようである。

 

石原莞爾支那事変

1. はじめに
2. 決戦戦争と持久戦争
3. 支那事変は持久戦争だった
4. 石原は長期戦不可避論者だったのか
5. 早期和平解決にこだわった石原
6. 年表・盧溝橋事件から「対手トセズ」声明まで
7. 蔣介石の遠略
8. 盧溝橋事件後における蔣介石の強硬態度
9. 蔣介石はいつ戦争を決意したか
10. 日支全面戦争を煽った中国共産党
11. 上海戦における蔣介石とファルケンハウゼン
12. 成就した以夷制夷
13. 首脳会談成功の可能性
14. 船津工作成功の可能性
15. 陸軍は上海の防禦陣地の存在を知らなかった?
16. 近衛文麿と七月一一日の派兵声明
17. 石原と盧溝橋事件
18. 石原は上海の日本人を見殺しにしようとした?
19. 石原は蔣介石の上海開戦方針を察知できていたか?
20. 石原発言に見られる駆け引き
21. 石原の辞任とその後
22. 米内光政と上海事変
23. 海軍の南進論
24. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・一
25. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・二
26. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・三
27. 「日本は支那を見くびりたり」
28. 日本は持久戦争に対応できなかった
29. 石原が上海への陸軍派兵を嫌った理由
30. なぜ兵力の逐次投入となったのか
31. 最終戦争論
32. 石原は対ソ開戦論者だった?
33. 石原の経済体制再編論
34. 上海撤退の合理性
35. 米内光政の責任論
36. 満洲事変は歴史上の“起点”か?
37. おわりに
38. 主要参考文献