牛歩の猫の研究室

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早期和平解決にこだわった石原

 そして、上の発言で注目すべきは、「戦争目的即ち講和条件の確定は本事変の当初から最も強調しました」という部分である。たしかに盧溝橋事件後の七月三〇日には、「北平、天津平定時が和平の最良時機である。しかし参謀本部内の意見をまとめることができない状況であり、陸相も決心がつきかねている様子なので、海相からこれ〔和平条件〕を切り出してもらいたい」と海軍に要請しているし、八月三一日には「陸軍統帥部としては、何かのきっかけがあれば、なるべく速やかに平和に進みたく、ついては平和条件を公明正大な領土的野心のないものに決めておきたい。陸軍大臣は誰に吹き込まれたのか、穏和な平和条件には満足しないようである。両統帥部で条件決定を促進したい」と、早急なる和平条件の決定を求める発言が認められる(『陸軍作戦』)。では、なぜ石原は支那事変において、和平条件の確定を急いだのであろうか。実は石原は早くから、次のような戦争指導理論を導き出していたのである。

「消耗戦争ニ於テハ戦争ノ目的(講和条件)ヲ確定シ置クコト特ニ切要ナリ」(「満蒙問題解決ノ為ノ戦争計画大綱(対米戦争計画大綱)」昭和六年四月『資料』。ここでいう「消耗戦争」とは「持久戦争」のことである。石原が「殲滅戦争」「消耗戦争」を「決戦戦争」「持久戦争」という名称にあらためたのは満洲事変後のことである〔『戦争史大観』〕)

 また、その理由については西洋戦史の例を用いて説明している(同内容のため、以下はよりわかりやすく説明している『戦争史大観』から引用する)。

「〔フリードリヒ大王は〕全欧州を敵としてよく七年の持久戦争に堪えその戦争目的を達成した。それには大王の優れたる軍事的能力が最も大なる作用を為しているが、しかしよく戦争目的を確保し、有利の場合も悲境の場合も毫も動揺しなかった事が一大原因である事を忘れてはならぬ。持久戦争に於ては特に目前の戦況に眩惑し、縁日商人の如く戦争目的即ち講和条件を変更する事は厳に慎まねばならぬ。第一次欧州大戦ではドイツは遂に定まった戦争目的なく(決戦戦争より戦争に入ったため無理からぬ点が多い)、戦争後になって、戦争目的が論じられている有様であった。そしてこれが政戦略の常に不一致であった根本原因をなしている」

 すなわち政戦略を一致させる必要から、石原は和平条件(=戦争目的)の確定を急いだのであった。では、支那事変における石原の戦争目的とは何であったか。それは世界最終戦争に勝利するために東亜連盟を結成するという構想に基づき(後述)、原則的には蔣介石に満洲国を承認させる一方で、日本は支那本部におけるあらゆる権益を返還してしまうことであった(「回想応答録」ほか)。この点は強調しておくが、当初から〈支那事変は持久戦争である=蔣介石政権を武力だけで屈伏させることは困難〉という明確な見通しを持っていたからこそ早急な和平条件の確定を訴え、外交交渉による解決にこだわったのである。

 ところが戦争目的の定まっていなかった日本側では対応が場当たり的になってしまい、南京陥落という「目前の戦況に眩惑」したために、石原が「厳に慎まねばならぬ」とした和平条件の加重がなされてしまったばかりか、最終的には和平交渉を打ち切るという愚行をおかしてしまうこととなった。

 

石原莞爾支那事変

1. はじめに
2. 決戦戦争と持久戦争
3. 支那事変は持久戦争だった
4. 石原は長期戦不可避論者だったのか
5. 早期和平解決にこだわった石原
6. 年表・盧溝橋事件から「対手トセズ」声明まで
7. 蔣介石の遠略
8. 盧溝橋事件後における蔣介石の強硬態度
9. 蔣介石はいつ戦争を決意したか
10. 日支全面戦争を煽った中国共産党
11. 上海戦における蔣介石とファルケンハウゼン
12. 成就した以夷制夷
13. 首脳会談成功の可能性
14. 船津工作成功の可能性
15. 陸軍は上海の防禦陣地の存在を知らなかった?
16. 近衛文麿と七月一一日の派兵声明
17. 石原と盧溝橋事件
18. 石原は上海の日本人を見殺しにしようとした?
19. 石原は蔣介石の上海開戦方針を察知できていたか?
20. 石原発言に見られる駆け引き
21. 石原の辞任とその後
22. 米内光政と上海事変
23. 海軍の南進論
24. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・一
25. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・二
26. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・三
27. 「日本は支那を見くびりたり」
28. 日本は持久戦争に対応できなかった
29. 石原が上海への陸軍派兵を嫌った理由
30. なぜ兵力の逐次投入となったのか
31. 最終戦争論
32. 石原は対ソ開戦論者だった?
33. 石原の経済体制再編論
34. 上海撤退の合理性
35. 米内光政の責任論
36. 満洲事変は歴史上の“起点”か?
37. おわりに
38. 主要参考文献