牛歩の猫の研究室

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決戦戦争と持久戦争

 石原の書き記したものや発言の中には、「決戦戦争」「持久戦争」という言葉が多く出てくるのであるが、最初にこれらを石原がどのような定義で用いていたのかを明らかにしておくことにしたい。

 まず、字面だけを見て「決戦戦争=短期戦」「持久戦争=長期戦」と解してしまうのは誤りである。石原自身の説明を確認してみる。

「戦争本来の目的は武力を以て徹底的に敵を圧倒するにあり。しかれども種々の事情により武力は、みずからすべてを解決し得ざること多し。前者を決戦戦争とせば後者は持久戦争と称すべし」

「決戦戦争に在りては武力第一にして、外交・財政は第二義的価値を有するに過ぎざるも、持久戦争に於ては武力の絶対的地位を低下するに従い、財政・外交等はその地位を高む。即ち、前者に在りては戦略は政略を超越するも後者に在りては逐次政略の地位を高め、遂に将帥は政治の方針によりその作戦を指導するに至ることあり」(石原『戦争史大観』)

 念のためさらに簡潔に説明したものも引用しておく。

「大体戦争には決戦戦争と持久戦争、短期決戦と長期戦争、殲滅戦争と消耗戦争と、二つに傾向が分れる。武力の勝ちが絶対的であればこれが決戦戦争です。武力で参つたと簡単にいはせることが出来ます。これが決戦戦争ですが、武力だけでは敵を屈伏せしむることの出来ない傾向の戦争を持久戦争と我々は云つて居るわけです」(「協和会東京事務所に於ける石原少将座談要領」『資料』)

 以上からわかるように石原は、敵を武力だけで簡単に屈伏させることができる戦争を「決戦戦争」、敵を武力だけで屈伏させることが困難な戦争のことを「持久戦争」と定義しているのである。それは「持久戦争は長期にわたるを通常とし・・・」(石原前掲書)といった記述からも、「持久戦争」と「長期戦」を異なる概念として使い分けていることが理解できる。たとえばこれが「長期戦は長期にわたるを通常とし・・・」では意味が重複してしまいおかしな文章になってしまう。

 さらに石原の言う「屈伏」についても定義しておきたい。石原は次のように述べている。

「作戦ノ目的ハ敵軍ヲ屈伏セシメルニアル。

 コレガタメニ敵軍主力ヲ撃滅シ、少クモコレヲ震駭セシメ、抵抗意志ヲ完全ニ挫折セシメネバナラヌ」(「国防論大綱」昭和十六年春『資料』)

 このことから、「屈伏」は「抵抗意志を完全に失った状態」と解釈することができる。筆者の手元にある辞書によれば、「屈伏」は「力尽きて服従すること」と説明されているので、一般的な用法とほとんど同じである。また、抵抗意志を失えば和を請うしかないのだから、「屈伏=降伏」と考えてもいいだろう。

 ついでながら、盧溝橋事件後に日本側で同事件の処理をめぐって対立したとされるふたつの考え方、「拡大方針」と「不拡大方針」についても定義しておく。まず、これらは名称に問題があるというべきなのだが、単に戦面を拡大するか否かの方針の違いと解釈することは誤りである。最大公約数的な説明をしておくと、「拡大方針」とは武力行使の効果に大きな期待を抱き、それをもって日本側の要求を貫徹しようという考え方であり、「不拡大方針」とは武力行使の効果に限界のあることを認め、外交交渉により速やかに事態を収拾しようとする考え方である。このような理解が妥当であることは本論で追って明らかにすることができると思う。

 

石原莞爾支那事変

1. はじめに
2. 決戦戦争と持久戦争
3. 支那事変は持久戦争だった
4. 石原は長期戦不可避論者だったのか
5. 早期和平解決にこだわった石原
6. 年表・盧溝橋事件から「対手トセズ」声明まで
7. 蔣介石の遠略
8. 盧溝橋事件後における蔣介石の強硬態度
9. 蔣介石はいつ戦争を決意したか
10. 日支全面戦争を煽った中国共産党
11. 上海戦における蔣介石とファルケンハウゼン
12. 成就した以夷制夷
13. 首脳会談成功の可能性
14. 船津工作成功の可能性
15. 陸軍は上海の防禦陣地の存在を知らなかった?
16. 近衛文麿と七月一一日の派兵声明
17. 石原と盧溝橋事件
18. 石原は上海の日本人を見殺しにしようとした?
19. 石原は蔣介石の上海開戦方針を察知できていたか?
20. 石原発言に見られる駆け引き
21. 石原の辞任とその後
22. 米内光政と上海事変
23. 海軍の南進論
24. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・一
25. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・二
26. トラウトマン工作はなぜ失敗したのか・三
27. 「日本は支那を見くびりたり」
28. 日本は持久戦争に対応できなかった
29. 石原が上海への陸軍派兵を嫌った理由
30. なぜ兵力の逐次投入となったのか
31. 最終戦争論
32. 石原は対ソ開戦論者だった?
33. 石原の経済体制再編論
34. 上海撤退の合理性
35. 米内光政の責任論
36. 満洲事変は歴史上の“起点”か?
37. おわりに
38. 主要参考文献