牛歩の猫の研究室

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不戦条約は「侵略(aggression)」を定義したか

 侵略戦争を禁止したとされる不戦条約(一九二八年八月締結、ケロッグ─ブリアン条約とも)の解釈については、雑誌『正論』(産経新聞社、二〇一五年一二月号~二〇一六年五月号)に六回にわたって連載された福井義高「不戦条約と満州事変の考察」という論考に大いに啓蒙されるところがあったので、以下にその要点を書き出し、若干の付記を加えておく。

 まず福井氏は、ディオニシオ・アンチロッティ(伊)、ハンス・ケルゼン(墺)、アルフレート・フェアドロス(同)ら当時の国際協調派の有力な国際法学者の見解を引用して、不戦条約が調印された一九二八年以降においても、一般国際法の状況が次のようなものであったことを明らかにしている。

〇国内社会では、国家が強制力を独占しているため個人には正当防衛を除いて違法行為に対する自力救済が禁じられている。一方、国際社会では、国家に実効性ある法的保護を提供する上位機関は存在しないので、他国の違法行為に対する自力救済が許されている。違法行為の一種に過ぎない武力攻撃に対する正当防衛としての自衛は、自力救済の一部に過ぎない。

〇自力救済が認められる以上、武力攻撃以外の不法行為に対して攻撃戦争(先制攻撃で開始される戦争)によって対処することも認められる。

 福井氏は「武力攻撃以外の不法行為」の具体例として、北朝鮮工作員による日本人拉致を挙げている。すなわち、北朝鮮工作員の行為は武力攻撃ではなく、自衛隊が先制攻撃によって拉致被害者を取り返した場合、自力救済ではあっても自衛とはならないが、それは国際法違反なのであろうかと。

 ともあれ不戦条約交渉が開始されると、フランスは不戦の対象を侵略戦争に限ることを主張した。しかしアメリカのフランク・ケロッグ国務長官はそれを拒否、一九二八年二月の交換公文においては、条文に求められるのは理想にふさわしい「純粋さと単純さ」であり、「侵略国」の定義といった厳密な用語法は「合衆国にとってどうでもよい問題」とまで記した。また、四月の演説における発言は国際法上の留保の性格を与えられたが、ここでも侵略を定義することは明示的に否定された。

 実はアメリカにとって不戦条約とは、何ら拘束力を持たない、世論向けの政治パフォーマンスでしかなかった。したがって国益に直結する外交交渉の場合、国是であるモンロー主義を条約に明文化させることに強くこだわるのが通例であったが、不戦条約交渉の際にはそれに言及することさえなかった。

 そしてケロッグは一二月の上院外交委員会の審議において、自衛の対象は合衆国本土に限定されないばかりか、我々のすべての「権利」にまで及ぶとの政府解釈を明らかにした。そのためフェアドロスは当時、次のことを指摘している。

〇対象に「権利」が含まれるのであれば、自衛は武力攻撃への反撃だけを意味するのではなく、自力救済そのものとなる。結局不戦条約は、違法行為に対する自力救済としての攻撃戦争を容認する伝統的な一般慣習国際法の条約化ということになる。

 なお、同審議においてケロッグは、「先に御説明申上げました通り、私は今日、或る国家にとつて回避することの出来ない問題である、〈自衛〉若くは〈侵略者〉といふ語について之を論じ定義する事は、地上の何人と云へども恐らく出来ないであらうと思ふのであります」と述べている。また、日米開戦に思い及ぶとき、「〔経済封鎖は〕断然戦争行為です」と言明していることが注目されよう(『東京裁判 日本の弁明』)。

 福井氏は、アメリカの条約解釈は国際政治上極めて重い意味を持つとして次のように指摘している。

「逆から見れば、他国が同様の解釈の下に行動しても、米国は不戦条約違反だとして異を唱えることはできない。米国は自らの見解が条約の「正しい」解釈だと主張しているのだから」

 さらに不戦条約を無効とする議論はアメリカの政界に留まらず、学会でも常識とされた。一九二九年四月の米国際法学会年次大会においては、

〇何が自衛に当たるかに関して無制限の裁量が当事国に認められている以上、公式解釈として条約本文が課する法的義務は「無効化」されている。

〇不戦条約は「法を形成する条約」ではなく、主権国家による自力救済の容認という、国際法上確立した原則にいかなる意味でも影響を与えない。

──との見解が当然の前提として議論が続いた。

 以上のように、不戦条約はそもそも法的には無効だったのだから、侵略を定義する必要もなかったのである。

 付け加えておけば、一九四五年六月、ニュルンベルク裁判に先立ち連合国(米英仏ソ)はロンドン会議を開き「平和に対する罪(侵略戦争をおこなった罪)」を成文化させるが、結局そこでも侵略を定義することはできていない(『戦争責任論序説』)。

 したがってニュルンベルク、東京両裁判の判決は侵略の定義の問題を完全に回避し、後者においては「本裁判所の意見では、日本が一九四一年十二月七日に開始したイギリス、アメリカ合衆国及びオランダに対する攻撃は、侵略戦争であった。これらは挑発を受けない攻撃であり、その動機はこれらの諸国の領土を占拠しようとする欲望であった。『侵略戦争』の完全な定義を述べることがいかにむずかしいものであるにせよ、右の動機で行われた攻撃は、侵略戦争と名づけないわけにはいかない」(『東京裁判 勝者の裁き』)などと強弁するしかなかったのである。

 しかるに、近代国家における刑法の基本原則である遡及的立法の禁止に反して不戦条約によって侵略戦争が“国際犯罪”とされたと断定するにとどまらず、あまつさえ国際法上容認されていなかった戦争指導者の個人責任を追及するという暴挙にまで出たことは、連合国こそが真に国際法を蹂躙したというべきであろう(『憲法九条・侵略戦争東京裁判』によれば、国際法において単純な違法行為と犯罪行為は峻別されるべきとし、犯罪行為とは「国際社会全体の法益を侵害する重大な違法行為で、大多数の国があらかじめ──特に条約を通じて──構成要件・責任主体・刑罰について合意したもの」としている。無論、そうした合意は不戦条約には存在しなかった)。

 パル判事による「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺戮した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」(『共同研究 パル判決書』上)という東京裁判批判も決して過言ではあるまい。

 

 以下の対談も参考になりそうなので一部を引用しておく。

【『歴史通』二〇一一年三月号「さきに「平和」を破ったのは誰か」中西輝政・北村稔】

北村 日本は侵略戦争を行ったとして東京裁判で断罪されていますが、それに先立って、ドイツではニュルンベルク裁判が開かれています。ニュルンベルク裁判の開廷に至るまでの経緯については、国際法学者のアリエフ・J・コチャービが“Prelude to Nuremberg”(North Carolina Univ.press 1998『ニュルンベルクへの道』本邦未訳)の中で詳しく分析しています。

 ロンドンの戦争犯罪委員会で、最初から「侵略戦争戦争犯罪にせよ」と強硬に主張したのは、チェコ亡命政権とオーストラリア、中国だけでした。チェコナチス・ドイツの自国に対する過酷な占領政策を罰したいので、「戦争では先に手を出した方が悪いのだ」と主張しましたが、イギリス人顧問は「国際紛争の解決手段としての戦争の放棄を宣言しているパリ不戦条約でも、そのようなことは規定されていない」と述べて反対していました。

 このあとチェコの主張に賛成したのが、アメリカのロバート・J・ジャクソン判事でした。ジャクソン判事は高卒で最高裁判事になった努力家ですが、「パリ不戦条約があるのだから、それ以降に戦争を起こした国は悪い」という論法を押し通しました。その後、アメリカに戻った後、「ジャクソンは、近代法の大原則である罪刑法定主義に反して事後法で裁いた」として、批判されることになりますが。

 当初、侵略戦争を犯罪として裁くことに反対だったイギリスが態度を翻したのは、ユダヤ強制収容所の深刻さが明らかになったためでした。それ以降、チェコ側からの「それみたことか。ナチス・ドイツは単なる通常の戦争だけでなく、民族虐殺をしたのだ。共同謀議理論と侵略戦争=犯罪論でやってしまえ」という乱暴な論が力を持っていきます。ドイツの三カ月後日本が降伏しますが、日本に対してもナチスへの断罪と同様の手法が援用されることになります。その結果、ナチスの民族虐殺と同類の行為であるとして、ありもしない「南京大虐殺」がでっち上げられたのです。

中西 近年、ニュルンベルク東京裁判がそもそも何を狙いとし、どのようにして開かれることになったか、ということを初めて明らかにするような文書の公開が始まり、それらに依拠した研究書も欧米で次々と出版されるようになり、驚くような事実がたくさん明らかになってきましたね。

 今おっしゃったアリエフ・J・コチャービの本もそうですが、最近発表されたマイケル・ソルターの詳細な研究(Michael Salter“Nazi War Crimes, US Intelligence and Selective Prosecution at Nuremberg”:Controversies regarding the Role of OSS’2007′本邦未訳)によると、アメリカの情報機関は、ドイツの戦争犯罪を裁く時に、あえてホロコーストにかかわった重要なナチスの高官を、従来言われていたよりもずっと大勢見逃しています。これに一番関与したのは、OSSヨーロッパ支局長だったアレン・ダレス(のちのCIA長官)です。

 諜報工作のためとはいえ、これほど大量の裏取引をやっていたのだったら、ニュルンベルク裁判そのものの正当性が大きく崩れてきますね。大変な残虐行為をした多くのナチスを免罪にしたこの裏取引が表沙汰になれば大事件に発展するので、糊塗しなければなりません。それで、残虐行為以外にも、戦争自体を裁くのがニュルンベルク裁判の意義だと強弁し始めます。

 そこから、東京裁判でも、この原則を貫く必要が生じ、GHQ(連合国軍総司令部)に圧力をかけて裁判所条例をつくらせ、罰則のないパリの不戦条約を曲解して、無理矢理「共同謀議」や「平和に対する罪」で裁いたわけです。つまり、ニュルンベルク東京裁判の裏には、ジャクソンの野心やダレスの裏取引など、大変ドロドロしたものがありました。

 一九二八年、パリ不戦条約が締結された直後、提唱者のアメリカ・ケロッグ国務長官は、「何が侵略戦争か、何が自衛戦争かを決める解釈権は、当事国による自己解釈によるしかない」と言っています。これ以上、確実な定義はありません。

 パリ不戦条約は、いかなる戦争も「不法行為」とするものではないのです。いわんや、犯罪とするものではありません。裏に勝者側の後ろめたい事情があって、それを隠す便法として苦しまぎれにこの条約を持ってきただけの話です。

 しかも、「侵略戦争」という言葉をつくって、まったく別の意味で戦後日本に定着させたのは、当時、東大の国際法教授として東京裁判GHQの下働きをした横田喜三郎です。たとえば、「日本は侵略戦争東京裁判で正当に裁かれたのだから、絶対に憲法九条を改正してはならないのだ」と彼は言っていたのです。「侵略戦争」をした国は未来永劫、断罪され、いわゆる“ハンディキャップ国家”であり続けねばならない、というわけです。私はこれを、“横田テーゼ”と呼んでいます。

 そもそも国際法的にどう見ても横田の侵略戦争概念は間違ったものです。横田は国際法の世界的権威とされたハンス・ケルゼンの弟子だと自称していましたが、そのケルゼン自身が「東京裁判は法的には無意味な政治ショーにすぎない」と断言しています。横田の自衛権についての解釈自体も間違っているので、憲法理論としても横田理論の成り立つ余地は全くありません。

 しかも横田は、憲法ができたとき「いずれ天皇制も廃止すべき」と言っていたのに、なんでこんな人がその後、外務省参与になったり、最高裁の長官にまでなったりしたのか、さっぱりわかりませんね。自分の政治的野心や栄達を糊塗するために東京裁判に対する非常に歪んだ正当化が横田によって広められ、戦後の日本に定着したことは歴史の悲劇ですね。

北村 裁判そのものが政治だということが、日本人は純粋すぎて理解できないのでしょうか。

中西 日本人には、国際社会というものが、いまだに理解できていないのでしょうね。つまり、外の世界には「国際基準」というものが厳然としてあると考えてしまう鎖国マインドか、GHQコミンテルン的な左翼偏向史観か、どちらかの物差ししかないようです。

 領土問題でも尖閣の事件でも、実効支配と実力行使、つまり国際社会では実力なくして正義の証明はできない、ということがわかっていないのです。そして、現在の秩序を維持するためには力の行使は許される、というのが国際法や国際平和の基本的な考え方です。

 戦争を裁くための裁判も同様で、二〇〇二年に発足した国際刑事裁判所(ICC)も、「初めて国際法違反について個人の責任を問う裁判制度が生まれた」と言っていますが、では東京裁判は何だったのか。つまりあれは裁判ではなかった、ということです。おまけに、このICCでも処罰可能な侵略(戦争)とは何かについて、いまだに合意に達していません。そもそも定義もできないのですから、未来永劫、合意のしようもないでしょう。

「侵略」の定義について、国際社会の合意に基づく基準をつくることは原理として不可能なのです。だからこそ、「国際社会」というのです。もし合意ができたら、世界は一つの国になったことになる。結局、東京裁判という名の「勝者の復讐」行為が正当化されたという不正義と、百歩譲って日本がやったとされる「侵略戦争」の不正義と、どちらがより大きな不正義か、といえば、私は人類の文明にとって復讐の正当化の方が悪しき先例になると思います。

 言い換えると、国際社会ではたしかに力が不可欠ですが、力に任せた復讐が、「正義」の名のもとに行われたわけで、これは、いかなる文明においても最悪の不正です。ですから、日本人は、「東京裁判は精神的なジェノサイドだった」と捉えるべきです。これまでも東京裁判の中味に拘泥されることなく、こうした視点から歴史認識をいったん更地にして自らのものを作ってゆくことも、成熟した民族なら可能だったはずなのですが。

 

 参考文献

菅原裕『東京裁判の正体』(国書刊行会、一九六一年)

児島襄『東京裁判』上・下(中央公論新社、一九七一年)

田岡良一『国際法Ⅲ〔新版〕』(有斐閣、一九七三年)

田岡良一『国際法上の自衛権』補訂版(勁草書房、一九八一年)

大沼保昭『戦争責任論序説』(東京大学出版会、一九七五年)

東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書』上・下(講談社、一九八四年)

田中正明『パール判事の日本無罪論』(小学館、二〇〇一年)

佐藤和男『憲法九条・侵略戦争東京裁判』(原書房、一九八五年)

佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』(明成社、二〇〇五年)

清瀬一郎『秘録 東京裁判』(中央公論社、一九八六年)

安田寛・西岡朗・宮沢浩一・井田良・大場昭・小林宏晨『自衛権再考』(知識社、一九八七年)

細谷千博・安藤仁介・大沼保昭編『東京裁判を問う』(講談社、一九八九年)

色摩力夫国際連合という神話』(PHP研究所、二〇〇一年)

小堀桂一郎東京裁判 日本の弁明』(講談社、一九九五年)

花山信勝巣鴨の生と死』(中央公論社、一九九五年)

リチャード・H・マイニア著・安藤仁介訳『東京裁判 勝者の裁き』(福村出版、一九九八年)

日暮吉延『東京裁判』(講談社、二〇〇八年)

牛村圭・日暮吉延『東京裁判を正しく読む』(文藝春秋、二〇〇八年)

B・V・A・レーリンク著・A・カッセーゼ編・小菅信子訳『東京裁判とその後』(中央公論新社、二〇〇九年)

大岡優一郎東京裁判 フランス人判事の無罪論』(文藝春秋、二〇一二年)

伊藤隆「北岡君の「オウンゴール発言」を叱る」『歴史通』(ワック、二〇一五年五月号)

宮田昌明「まるでパブロフの犬 満洲と言えば侵略」『歴史通』(ワック、二〇一五年一一月号)

福井義高「不戦条約と満州事変の考察」(1)~(6)『正論』(産経新聞社、二〇一五年一二月号~二〇一六年五月号)

倉山満『国際法で読み解く世界史の真実』(PHP研究所、二〇一六年)